今回は甲子園の
サイレンの目的などに
ついてまとめて
みました。
2019年現在夏は
101回、春は91回を
数えています。
甲子園のサイレンの目的は?
甲子園では試合前や
試合終了後に球場で
お馴染みのサイレン
が鳴らされています。
ではどのような目的で
サイレンは鳴らされている
のでしょうか?
101回目を数える歴史
ある選手権大会は、
1915年に第1回大会
が開催されました。
当時は「全国中等学校
優勝野球大会」という
名称で、大阪の豊中
グランドで行われた
のが夏の甲子園の
始まりとなります。
今から104年前の
第1回大会で、
現在のようにサイレン
は鳴らされていたの
でしょうか?
主催者は「阪神甲子園球場
にも確認をしましたが、
(サイレンの)開始時期
についてはっきり
わかりませんでした」
とのこと。
サイレンがいつ始まった
のかというのは明確に
わかりませんでしたが、
1936年8月21日付けの
「東京朝日新聞」の
夕刊1面に、
「サイレン・喊聲・拍手」
の見出しで、第22回
大会の記事が掲載
されていました。
紙面には「大優勝試合の
サイレンは午後2時を
期して高らかに鳴り
響いた」との記述が
あることから、少なく
とも1936年当時には
すでにサイレンが
鳴らされていた
ことがわかります。
甲子園球場でサイレンが
鳴らされるのは、
試合前のシートノック、
プレーボール、ゲーム
セットのタイミングで、
放送室にいるスタッフ
により鳴らされる
そうです。
また、毎年8月15日正午
にサイレンが鳴らされます。
ちなみにこのサイレン音
の長さは約16秒、球場内
に鳴り響きます。
サイレンが鳴らされる
目的については
「試合の開始や終了などに
ついて知らせる目的です。
サイレンを鳴らすことで
球場全体に広く知らせる
ことができると思います」
と主催者は語ってます。
一説によると、甲子園
球場の最寄り駅の
駅員らに試合の進行
具合を知らせる目的
もあったと言われている
ようです。
試合が終わると大勢の
観客が駅になだれ
込むため、その準備や
対応をするために
サイレンを鳴らして
知らせていたとの
説もあるようです。
ですがサイレンが
途切れたことも
ありました。
1937年に開催された
第23回大会でのこと。
この年の7月に起きた
盧溝橋事件の影響
によるものかは
わかりませんが、
同大会では試合
開始時、終了時に
サイレンに代わり
進軍ラッパが
鳴らされたそうです。
甲子園という名前の由来は?
甲子園球場が完成
したのは大正13年
8月1日です。
この年は、奇しくも、
十干、十二支の
それぞれ最初の
「甲(きのえ)」と
「子(ね)」が60年
ぶりに出会う年
だったそうです。
縁起のよいこの年
にちなんで、この
付近一帯を「甲子園」
と、また野球場を
「甲子園球場
(当時は大運動場)」
と名付けたそうです。
ちなみに甲子園を本拠地
とする阪神タイガース
と言えば、やはり
「阪神タイガースの歌」
通称「六甲おろし」が
有名ですね。
そのため甲子園の
「甲」は六甲の
「甲」が由来と
勘違いしている人
もいるのでは
ないでしょうか?
甲子園建設の経緯は?
大正年間に始まった
全国中等学校優勝
野球大会は、豊中球場
に始まり第3回大会
から兵庫県武庫郡
鳴尾村(1951年に
西宮市と合併)にある
鳴尾球場で開催
されていましたが、
人気の高まりにつれ
同球場の仮設グランド
では大勢の観客を
収容しきれなくなって
いたそうです。
後に試合中に観客が
グランドになだれ
込んで試合が中断する
という事態にまで
発展し、特に1923年
の第9回大会では
鳴尾球場に近い地元
甲陽中が決勝戦で
和歌山中との近畿
対決を制したこと
から、中等学校野球
人気がピークに
達しました。
この事態を重く見た
主催の大阪朝日新聞
は、本格的な野球場
建設を提案しました。
また、鳴尾球場の
所有者である阪神
電鉄も、鳴尾球場
と同じ鳴尾村に
流れていた申川
と枝川を廃川とした
後にできた埋め立て地
の開発の一環で
新球場の計画を
進めていて利害
関係が一致しました。
当時国内にあった
野球場では参考に
なるものがなく、
ニューヨークにあった
ニューヨーク・
ジャイアンツの
本拠地、ポロ・
グラウンズをモデル
に設計されたと
謂れています。
完成するまでの名称
は枝川運動場でした
が、大正13年の
1924年、前述でも
触れましたが十干
十二支の最初の
組み合わせである
甲子年(きのえねとし)
という縁起が良い
年という事もあり
後に甲子園大運動場
と命名されました。
甲子園でビデオ判定が導入されない理由は?
高校野球のトーナメント
は一発勝負なだけあり、
1試合1試合全力で
選手たちはプレーを
して1勝を目指します。
しかし、時に審判員による
誤審が勝敗に大きく影響
するケースがあります。
なので当然、プロ野球
のようにビデオ判定を
導入しろという声が
多くあります。
しかし、高野連は
そのような動きを
全く見せません。
たとえ間違っていた
としても、「審判は絶対」
と考えているようです。
野球関係者によると
「先進的なことは一切
導入したくないのでしょう。
それこそ軍隊のように、
年齢が上である審判員
に対し、高校生は
「絶対服従」を強いたい
のだろうなと。
非常に、古い考え方が
はびこっている
世界なので。
高校野球の審判は、
ほぼボランティアで、
酷暑のなかベンチに
入れずグラウンド
に立っているわけ
ですから、気分が悪く
なるケースや、判断力
が鈍ることは容易に
想像できます。
誤審はある種仕方のない
部分もある。
ビデオ確認ではしっかり
と検証できるわけ
ですから、審判員に
とっても負担が減る
ので、制度で導入すべき
だと思います。
しかし、高野連は誤審
を無くすことよりも
審判の名誉優先という
ことなのでしょう。
これはあくまでも噂
ですが、人気高校に
なると収益を考えて
審判が贔屓して勝たせる
ということもある
ようです。
今年地方大会で大阪桐蔭
が履正社に9回2アウト
から4四球で逆転しました
が、あの件について
懐疑的な視線を向ける
人も少なくありません」
とのこと。
高野連が考えを変えないと
ビデオ判定は導入されない
ようですね。
まとめ
今回は甲子園のサイレン
の目的、甲子園という
名前の由来、甲子園
建設の経緯、甲子園で
ビデオ判定が導入
されない理由について
まとめてみました。
また甲子園について
わかったことが
ありましたら追記
しますのでご覧
ください。