今回はソフトバンクホークス
の甲斐拓也について
調べてみました。
右投右打で日本シリーズで
MVPに輝いた最初の育成
選手となります。
甲斐拓也の母親がスゴい?
甲斐拓也は育成出身で、
乗り越えることが出来た
のは母親の存在が大きかった
そうです。
甲斐拓也は兄の影響で野球を
始め、小学一年生から
本格的に取り組むようになり
「他人と変わったことを
したかった」ということで
独特なポジションである
捕手に憧れたそうです。
甲斐拓也は大分県にある
楊志館高校に入学後に
本格的に捕手の道に
進むと、2010年に育成
ドラフト6位でソフトバンク
ホークスへの入団を
果たしました。
ですが背番号は「130」で
育成選手は1軍の試合にでも
出ることは出来ません。
「最初はユニフォームを
着られるだけで幸せ、十分」
と思っていたそうですが、
背番号に恥ずかしさ、
悔しさを感じるようになった
そうです。
「育成はプロ野球選手じゃない」
とも言われ、「ユニフォームを
着ているだけじゃ意味がない」
と悔しい思いをするように
なったそうです。
野球を諦めようかとくじけ
そうになった甲斐拓也を
支えたのが母親の存在
だったそうです。
甲斐拓也は両親が2歳の
時に離婚をして母子家庭
で育っており、母親とは
「友達のように何でも話す」
とのこと。
毎晩のように母親に電話して
グチを聞いてもらっていた
そうです。
「一番の味方」という母親に
「ダメかもしれん」と戦力外
になるかも知れないと
伝えたそうです。
すると「私がずっと味方で
いるから、何でも話なさい」
という母親からは
「ダメだったら帰ってきたら
いいから」と励まされた
そうです。
これで甲斐拓也は
「帰る場所があるんだから、
やる以上、思い切ってやろう」
と奮起したそうです。
「プロで活躍し必ず母を
ラクにしてやろう」と
いう思いで野球に
取り組んでいるそうです。
甲斐拓也の母親の小百合さんは
大分県にあるタクシー会社に
入社し、2017年から個人
タクシーとして営業を
しているそうです。
昼はタクシー運転手として
働き、夜はパチンコ店の
清掃員をしていたそうです。
時間の融通がきくこと、
すぐに動けるようにと
タクシー運転手となった
そうです。
そして入団から3年後、
支配下登録に入り、
背番号も二桁の62番と
なりました。
母親の車のナンバープレートの
番号は甲斐拓也の背番号と
同じ「・・62」としている
そうです。
まさに母は強しですね。
甲斐拓也の嫁と子供は?
甲斐拓也は2018年3月に
福岡在住の元幼稚園
教諭で同い年の一般
女性と結婚をしています。
2013年9月から4年半の
交際を経てゴールインと
なりました。
甲斐拓也の友達の友達
だったそうです。
甲斐拓也から2013年9月
に告白し、交際がスタート
したそうです。
その二か月後の11月には
育成から支配下登録を
されました。
婚姻届を出したのは3月30日
だったそうです。
「特に今季にかける強い思いが
あった。
大事な試合だったので
奥さんに婚姻届を
出してきてもらいました。」
とのこと。
嫁は甲斐拓也を料理でも
支えているそうで、
母親直伝の卵焼きが
一番好きなんだそうです。
卵に砂糖ではなくマヨネーズ
を入れ、とろみのある卵の
中にベーコンを挟み込む
そうです。
メスのシーズー犬のハナ
ちゃんも飼っており、
「この子がいるから、二人が
ケンカしても落ち着くんです」
と語っています。
2018年10月10日には
第一子となる男の子も
誕生をしています。
嫁と子供の名前や画像は
非公開のようです。
甲斐拓也の肩がスゴい!
甲斐拓也は「甲斐キャノン」
というニックネームが
つくほどの捕手です。
「機動戦士ガンダム」に
登場するガンキャノンと
そのパイロットである
カイ・シデンから
由来をしています。
広島との日本シリーズで
6連続盗塁阻止を記録し
MVPにも選ばれました。
2018年は自己最多となる
133試合に出場し、盗塁
阻止率.447で12球団
唯一の阻止率4割超も
記録しました。
リーグ最多95盗塁の
「赤ヘルの足」を
封じた甲斐拓也ですが
自身を「ネガティブすぎる」
と分析する甲斐拓也の
性格は師匠と慕う野村克也
の影響でもあるそうです。
甲斐拓也と野村克也には
共通点も多く、共に
プロ野球選手としては
小柄で母子家庭育ち。
支配下登録外の育成選手
から這い上がり、正捕手の
座を掴みとったのも
同じです。
野村克也と対談した際には
「お母さんのためにも
頑張ってあげなきゃね」
との激励に「母のためにと
思ってずっと頑張って
これました」と語っています。
甲斐拓也は休日返上で練習を
続け、誰もいなくなった
グラウンドで居残りを
していたそうです。
帰宅してもテレビをつけず、
タブレットで対戦した
打者や他チームの捕手を
研究していたのだとか。
そこで目に止まったのが
西武の捕手・炭谷銀仁朗の
スローイングだったと
いいます。
投手からの球を捕ってから
二塁に投げるまでが
異常に速いのだとか。
秘密は何なのかと疑問に
思って面識もなかった
炭谷銀仁朗に
「ミットを譲ってください」
とお願いしたそうです。
快諾して譲ってもらった
そうです。
捕手のミットの多くは
フォークボールなどの
変化球をしっかり抑える
ためポケット(グラブの内側)
が深いそうですが、
炭谷銀仁朗のミットは
捕ったボールを素早く
右手に持ち替えることが
出来るように浅いそうです。
甲斐拓也も今では
「炭谷モデル」のミット
のようです。
甲斐拓也は「甲斐キャノンと
呼ばれていますが、肩は
決して強くありません。
遠投115mとプロとしては
平均レベル。
ボクは、肩が弱くても
走者は刺せると思っています。
大切なのは動作の速さと
送球の正確さ。
普通、捕手は投手からの
球を受けると一旦動作が
止まり、そこから
スローイングに入ります。
炭谷さんなど盗塁阻止率が
高い捕手は、球を受けてから
も動きに区切りがない。
ボクは走者が走ると投手の
球を受ける前に左足を
前に出し、捕球と同時に
投げられるような体勢を
とっています。
より速く送球するために、
動作の流れを重視して
いるんです。
二塁へ正確に送球するには、
手首のスナップが大事。
毎晩風呂の中では右手を
50回2セット、100回ほど
上下に屈伸させています」
と語っています。
投手からの球を受けてから、
捕手の送球が二塁カバーの
野手のグラブに収まるまで
の時間はプロ平均で2秒
ほどなんだそうです。
1.8秒台ならトップレベル
と言われるそうですが、
甲斐拓也は1.7秒台です。
甲斐拓也は世界最速1.67秒
も持っています。
守備につく際には必ず
ホームベース付近の
グラウンドをしっかりと
慣らし、最後に指で
グラウンドに「心」の
一文字を記すことを
毎イニング続けている
ようです。
甲斐拓也の頑張りは
凄まじいものがあった
ようですね。
まとめ
今回は甲斐拓也について
まとめてみました。
育成選手からここまでの
選手になるというのは
周りも本人も思って
いなかったのではない
でしょうか?
しかしここまでなったのは
母親の存在が大きかったと
いうのがわかりましたね。
甲斐拓也の活躍はこれからも
続いていくでしょうから
その活躍から今後も目が
離せませんね!