今回は鳥谷敬について
まとめてみました。
鳥谷敬は東京都
東村山市出身の
元プロ野球選手、
野球解説者、
野球評論家、
コーチ、タレント
となります。
右投左打です。
日本野球機構公式戦
1939試合連続出場、
13シーズン連続
全試合出場、史上
50人目の公式戦
2000本安打及び、
史上15人目の
1000四球達成者と
なります。
遊撃手としては、
NPB公式戦シーズン
最多打点記録の
104打点及び、
歴代最長のフル
イニング出場記録
の667試合、
セ・リーグの
シーズン最多補殺
記録の490補殺を
保持しています。
阪神タイガースへの
入団後には、2010年
と2011年に選手会長、
2012年から2016年
まで主将を務めました。
2012年、2016年は
野手キャプテンです。
鳥谷敬の結婚相手の妻(嫁)が気になる!
鳥谷敬は1981年
6月26日生まれの
2024年現在年齢は
43歳となります。
2005年に一般女性
と結婚しています。
この年は阪神タイガース
が優勝した年でも
あります。
鳥谷敬は聖望学園出身
で、妻はその野球部
のマネージャーだった
そうです。
鳥谷敬が2年生の時、
妻が3年生の時に
交際が始まった
そうです。
名前は裕子という
そうで、とても美人
だそうです。
鳥谷敬は妻について
「自分は野球のことで
気持ちが浮き沈み
しやすい。
でも、それをわかって
明るくして気を
使ってくれる女性」
と語っています。
鳴り物入りで入団して
きた鳥谷敬は、
メディアからもかなり
注目を浴びていました。
最初はなかなか試合に
出られなかったり、
出ても結果を出せなかったり
と苦しい時期もありました
が、妻が陰ながら
支えていたようです。
若くして守るべきものを
持ったので、それからの
鳥谷敬の活躍は目を
見張るものが
ありました。
鳥谷敬の子供は?
鳥谷敬の子供は
2006年に長男、
2008年に次男、
2010年に長女、
時期は不明で男と
四人いるようです。
鳥谷敬はとても
子煩悩のようで、
甲子園で試合が
あった日は、
終わったらすぐさま
西宮市内の自宅に
まっすぐ帰宅する
そうです。
しかも自転車で
だそうです。
ミキハウスのイベント
では、子供服を
プレゼントされた
そうで、そのスピーチ
の際も、4人子供
全員のその時の
身長をスラスラ
言ってのけた
そうです。
一緒に服を買いに
行ったりするから
父親としては当然
ですと言っていますが、
なかなかそれが
出来る父親は
いないのではない
でしょうか?
鳥谷敬に不倫疑惑?
妻も子供もいる
鳥谷敬に不倫疑惑が
あがったことが
あるようです。
まず最初の不倫疑惑
報道は2007年のこと
でした。
記事によると、ちょうど
東京に遠征に行っている
時に、他の選手数名と
合コンに参加した
そうです。
そして、その2日後、
1人の女性が鳥谷敬
の宿泊するホテルへ
宿泊したそうです。
その翌日合コンに
来ていた別の女性と
食事へ行き、その
数日後にその女性
も鳥谷敬の宿泊する
ホテルから朝帰り
したのだとか。
この報道により鳥谷敬
は阪神タイガースから
厳重注意処分を
受けました。
まだ新婚でもおかしくない
ですから、妻もきっと
怒ったことでしょうね。
若気の至れりといった
とこだったのでしょう。
次に報じられたのは
2013年のことでした。
21人の美女たちと
クルーザーで楽しんで
いたとのこと。
しかし、女性は
確かに21人の美女
でホステスだった
そうですが、
西岡剛の誕生日
パーティーの
イベントだった
そうです。
記事には楽しく
なさそうな
藤浪晋太郎も
写っていたり、
鳥谷敬は西岡剛
曰く、ずっと寝転んで
日焼けして寝ていた
そうです。
なのでこれは不倫
ということでは
なかったようです。
鳥谷敬の年俸がヤバい!
鳥谷敬は2003年の
ドラフト会議にて
自由獲得枠を通じて
契約金1億円、
年俸1500万円という
最高条件で阪神
タイガースへ
入団しました。
・2004年 1500万円
・2005年 2000万円
・2006年 3800万円
・2007年 7000万円
・2008年 9100万円
・2009年 1億3000万円
・2010年 1億6000万円
・2011年 2億6000万円
・2012年 3億円
・2013年 2億8000万円
・2014年 3億円
・2015年 4億円
・2016年 4億円
・2017年 4億円
・2018年 4億円
・2019年 4億円
ここから千葉ロッテ
マリーンズとなります。
・2020年 1600万円
・2021年 1600万円
鳥谷敬の学歴は?
鳥谷敬は小学生の
時には「東村山
ジュニアメッツ」
(東村山市立八坂
小学校時代)や、
「小作台少年野球
クラブ」(羽村市立
小作台小学校時代)
に所属していました。
羽村市立羽村
第一中学校時代は
「瑞穂シニア」で
プレーしました。
しかし、両膝の成長痛
で苦しんだことから、
中学卒業を機に野球を
辞める予定だった
そうです。
しかし父親からの説得を
受けて後に翻意
しました。
高校は聖望学園で、
1年秋に野球部へ
入部しています。
進学してからも
1年夏頃までは
野球部の練習を
見学するだけに
留めていた
そうです。
まもなく正二塁手
の座を確保し、
3年夏には遊撃手兼
投手としてチームを
初の甲子園大会
出場へ導きました。
ですが初戦敗退
でした。
その後、プロ志望届
を提出したものの
指名を受けなかった
ため、早稲田大学
野球部のセレクション
を受験しました。
当時の監督である
野村徹から高評価を
受け、この年から
同大学が設けた
スポーツ推薦入学枠
の第1号として
合格しました。
1年春から正遊撃手
に抜擢されました。
3年春から4年秋
までチームの
リーグ戦4連覇に
貢献しました。
遊撃手として5度の
ベストナインに
選ばれました。
野村徹が1度も怒った
ことがないほど、
練習や食事へ熱心
に取り組んでいた
そうです。
野村徹によれば、
同大学における
6年間の監督生活
で、1年生から
リーグ戦の全試合
に出場させた選手
は鳥谷敬だけ
なんだそうです。
そして2003年の
ドラフト会議にて
自由獲得枠を通じて
阪神タイガースに
入団しました。
鳥谷敬の家族構成は?
鳥谷敬の家族構成は
父親、母親、鳥谷敬、
弟2人の五人家族
のようです。
弟二人も聖望学園
へ進学して野球部に
所属したそうです。
長弟の司も内野手で、
東京農業大学を経て、
ヤマハ硬式野球部
で社会人野球日本
選手権大会出場を
経験しています。
2011年限りで現役を
引退してからは
同部のマネージャー
を3年間務めた
後に社業へ専念
しているそうです。
末弟は、鳥谷敬が
早稲田大学の
3年生だった2002年
に病気を患った
影響で、選手生活
を断念しています。
妻、子供については
前述で触れています
ので、ここでは数
に入れていません。
まとめ
今回は鳥谷敬の結婚、
妻、子供、不倫疑惑、
年俸、学歴、家族構成
についてまとめて
みました。
また鳥谷敬について
わかったことが
ありましたら追記
しますのでご覧
ください。