今回は片岡篤史について
まとめてみました。
片岡篤史は元プロ野球
選手、コーチ、野球
評論家、YouTuber、
タレントです。
京都府久世郡久御山町
出身です。
芦屋大学で客員教授を
務めていました。
片岡篤史と結婚相手の妻(嫁)との馴れ初めは?
片岡篤史は1969年
6月27日生まれの
2022年現在53歳と
なります。
2001年のオフ、
片岡篤史が31歳の
時に結婚しています。
妻は当時大学4年生
だったそうです。
子供は二人いるようで、
名前は大空(たいすけ)、
吉平(きっぺい)と
いうそうです。
生まれた詳しい時期
や名前など、また、
妻との馴れ初めなど
も不明でした。
片岡篤史の応援歌は?
片岡篤史の日本ハム時代
の応援歌は古屋英夫の
テーマ曲を流用していた
そうです。
ファンファーレから始まる
曲だったそうです。
阪神の応援団は片岡篤史の
応援歌を作る際に、この
ファンファーレを継承した
といいます。
さらに、「右投げ左打ち、
実家は檜風呂リフォーム
リフォーム片岡篤史」と
いう歌詞が付け加えられた
のだとか。
この歌詞の由来は、日本ハム
時代に片岡篤史が父親に
贈った実家の風呂の
一番風呂に金村義明が
入るというプロ野球
ニュースのオフ企画と
推測されているそうで、
金沢義明は後に
「応援歌のネタにされて
しまい、申し訳ないこと
をした」と振り返った
そうです。
なお、片岡篤史が
「打席で応援歌が気になる」
と契約更新で発言したため、
応援団は2003年までで
片岡篤史のファンファーレ
の演奏を止め、この箇所を
新たに作り直したそうです。
なお、引退後は「今考えれば、
それだけ応援歌が取り上げられる
ことはなかなかない。
いまだに皆さんに「応援歌は
良かった」と言って
もらえるので」と語り、
満更でもない様子です。
ジャンクSPORTS出演時や、
自身のYouTubeチャンネル
で「檜風呂」ではなく、
「檜のサウナ」だったこと
を証言しています。
片岡篤史の学歴
片岡篤史は中学校時代
はシニアリーグの出身で、
後にPL学園で同学年の
チームメイトとなる
ボーイズリーグ出身の
立浪和義とは試合を
したことがなかった
そうです。
片岡篤史の高校は
PL学園高校です。
4番打者として1987年
春の第59回選抜と
同年夏の第69回全国
選手権で優勝を果たし、
甲子園史上4校目
となる春夏連覇を
達成しました。
2学年上には清原和博、
桑田真澄のKKコンビが
おり、片岡篤史は
清原和博の付き人だった
そうです。
また、2学年下には
清原和博の弟である
清原幸治がいて、
3年時の片岡篤史の
付き人だったそうです。
高校卒業後同志社大学
に進学しました。
関西学生野球リーグでは
1989年春季リーグで
首位打者となりました。
エース杉浦正則を擁し
1990年秋季リーグで
7年ぶりの優勝を飾りました。
リーグ戦通算91試合
出場、311打数100安打、
打率.322、10本塁打、
48打点を記録しました。
ベストナイン4度受賞
しています。
1991年のドラフト会議
にて日本ハムファイターズ
から2位指名を受けて
入団しました。
片岡篤史の家族構成は?
片岡篤史の家族構成は
父親、母親、片岡篤史
の三人家族です。
妻、子供については
前述で触れています
のでここでは数に
入れていません。
まとめ
今回は片岡篤史の結婚、
妻、子供、応援歌、
学歴、家族構成に
ついてまとめて
みました。
また片岡篤史について
わかったことが
ありましたら追記
しますのでご覧
ください。